沿 革

清教学園の歩み 1940年代

SEIKYO HISTORY 1940

清教塾の時代

~清教学園の創設を夢みた塾生たちの熱意~

清教塾の生徒たちと中山昇先生(1948年)

清教塾の生徒たちと中山昇先生(1948年)

清教塾での学びは、聖書や教科はもちろん、共に真剣な対話をするために多くの時間がもたれ、つねに真摯な自主性があふれていた。そして、この塾生たちの夢が清教学園を生み出す源泉になった。
「すくどかき」、校地開拓 ―― 塾生たちは学園創設に向けて献身を重ねていった。

清教学園の歩み 1950年代

SEIKYO HISTORY 1950

清教学園中学校開校

~祈りに支えられた学園の出発~

中学校開校式

中学校開校式(1951年4月6日)

3学年49名で始まった中学校は、いわばないないづくしの状態であった。
しかし、自分たちの夢みた学校がそこにあるということが集った者たちの顔に笑みをもたらしていた。
大切な若い魂を預けてくださった神様と保護者への感謝の祈りとともに、清教学園の教育はスタートした。

清教の交わり

~共に造り上げる歓びを感じ合うという学風~

清教の交わり

『清教の交わり』(1954年~)

このガリ版刷りを読み合うことで、「高校もあればいいのに」という夢物語は、いつしか「総合学年は五年の内に出来る」というみんなの確信へと育っていった。
「信仰に知識に愛に益々前進できるよう、協力してこの交わりを育てよう」という中山昇先生の呼びかけに始まった通信は、共に造り上げる歓びを感じ合うという清教の学風を作っていった。

清教学園の歩み 1960年代

SEIKYO HISTORY 1960

末広校地の開拓

~新たな学び舎が建つ「希望の山」へ~

清教学園竣工

末広校舎竣工 (1967年)

高低差30メートル超で斜面だらけの校地であったが、初代校長の植田眞一先生の「キリストは…清教学園のような破れ校舎にちゃんとおいでになる」という言葉の通り、この場所はつねに希望が積み重なっていくところであった。その後、13回におよぶ建て増しを経つつ、末広校地は、「愛ある知恵」を持つ生徒たちが育つ「人間形成の場」になっていった。

清教学園高等学校開校

~男女共学校の使命を果たす学園として~

高校開校式(1968年4月)

高等学校開校 (1968年)

「自分たちの高校が欲しい」という願いの実現は容易ではなく、一時は大阪女学院との合併で新たな展開を得ようとする案さえあった。しかし、神様からの最初の賜物である命という観点に根差し、そこに男女の別なく根本的な尊厳を見る清教学園には、その道を選ぶことはできなかった。苦しくとも建学の精神を貫くという決意がここに定められた。

清教学園の歩み 1970~1980年代

SEIKYO HISTORY 1970-1980

国際交流の本格化

~世界をフィールドにして隣人と共に平和を築く~

初めての海外修学旅行(1983年、韓国)

既に70年前の入学案内に「英語の會話は一年より外人敎師が担任する」とあるように、国際人としての資質を養ってほしいということは、清教学園の建学以来の望みである。1973年の英語科開設以降、海外への修学旅行など、次々と先駆的な国際交流プログラムが確立され、地域のみなさんから「英語の清教」と呼んでいただくまでになっていった。

初めての海外修学旅行(83年、韓国)
初めての海外修学旅行(83年、韓国)

清教学園で日本史を学んだことが発端となり、いま現在、スタンフォード大学教授(歴史学科長)として江戸時代の日本について第一線で研究している。清教学園での日々が人生の糧となっているということは、恩師の芝田啓治先生(元河内長野市長(2008~2016))に宛てた「年を追うごとに、先生のおかげで私は現在のような道を歩むこととなったのだと、感謝の気持ちがより深くなってまいります。あらためて、心よりお礼申し上げます。」との言葉からもうかがえる。

中高一貫教育への胎動

~中学2クラス編成の実現で進む総合学園の構想~

第6期工事完成(1983年)

第6期工事完成(1983年)

1981年、人生で最も大切な時期を迎える生徒たちを中高一貫のしっかり としたキリスト教主義教育プログラムで育てたいと、学園は中学2クラス編成 に踏み切った。
その試みを後押ししてくださるかのように新しい校舎も次々と 与えられ、前進の息吹に充ちたそのキャンパスでは、清教スピリットの次のス テージを担う新しい世代が育てられていった。

「仰ぎみる七階建ての校舎には春爛漫の花吹雪舞う 天高く七階建ての校舎見て三十年の昔偲びぬ」
河内長野教会に一生を捧げ、学園設立にも深く関わった北野スエ子副牧師 詠

清教学園の歩み 1990年代

SEIKYO HISTORY 1990

一人ひとりの賜物を生かす

~天からの光に向かい、自分と隣人を愛せる人材が育つ学び舎へ~

赤い屋根のチャペルと聳え立つ鐘楼がシンボルとなった学園全景(1991年)

赤い屋根のチャペルと聳え立つ鐘楼がシンボルとなった学園全景(1991年)

創立40周年記念事業を通じて、学園は念願のチャペルを与えられた。カリヨンの鐘が鳴り、美しいステンドグラスから光がふりそそぐ礼拝堂では、生徒たちが共に礼拝のひとときを守り、 日々の成長のための糧をいただけるようになった。そうした中で生徒たちは、自らの賜物に気づき、勉学、部活動、奉仕など、様々な場面でそれを生かしていった。

清教学園の歩み 2000年代

SEIKYO HISTORY 2000

「知と心の創造空間」の確立

~探究心あふれる生徒たちの情熱に応える学びのフィールド~

清教学園全景(2011年、創立60周年)

創立60周年の清教学園全景(2011年)

2000年代に入ってからも、サイエンス棟、総合体育館、図書館リブラリア、M棟など、生徒たちの成長を願い、施設の充実化が積極的に図られた。2011年に創立60周年を迎えた清教学園は、原初の開拓精神を受け継ぎつつ、100年という未来にも「共に創り上げる歓び」を分かち合えるような学園であることを夢みている。