現役牧師にいろんなことを聞いてみた! Vol.1
現役の牧師である卒業生に、今さら聞けない「牧師への素朴な疑問」にお答えいただきました。
また、同窓生の先輩や後輩に向けて、牧師・クリスチャンとしてキリスト教ついて日々お考えになっていることを語っていただきました。
今回お話を伺ったのは・・・
日本基督教団泉佐野教会牧師
清教会宗教委員
高校29期
駒木 亮 (コマキ アキラ)さん
泉佐野教会の公式twitterで礼拝の情報などを発信しています。
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アカウント:@izumisano1897
URL:https://twitter.com/izumisano1897
では、早速質問に答えていただきましょう
- これまで赴任した土地・教会は?
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奄美大島(鹿児島県)、福岡市、泉佐野市
- 1年間でどれぐらい『休暇・休みの日』がありますか?
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休暇は年間2週間弱。休みの日は週1日取れるかどうか。
- 牧師として働いていてよかったと思った出来事は?
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色々な土地で色々な人と出会い、色々な価値観に触れられるので、視野が広まったこと。
「誰かのために祈ることができる素晴らしい仕事です」(私の神学部の指導教授<牧師>から示された言葉)。
- 牧師として辛かった経験は?
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牧師という働きは傍から見ていると何をしているのかよくわからない仕事のようで、「日曜日の朝だけ働く楽な仕事」とか「普段はブラブラしているのでしょう」と言われたことがあります(かく言う私も牧師になる前はそう思っていました)。
過去に仕えた教会の中でも「牧師の予定が記されていない時間は休んでいる」と思っていた方がおられました。
また牧師としてたとえ教会の役員に対しても決して言えない信者の事柄があります(牧会上の守秘義務)。
その事柄について教会の中で誤解を受け非難されたとき、弁解したくても弁解できないことがあります。
- 牧師として一番気合が入る瞬間・出来事は?
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毎週の主日礼拝(日曜日の礼拝)と礼拝の説教、加えて人の生き死にに関わる病床訪問や葬儀です。
- 牧師あるあるを何か1つ!
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平日、教会で牧師一人のとき、トイレに入ると「ドアホン」が鳴ったり、電話がかかってくる!
(居留守でもないし、無視でもありません!教会に行こうと思う方・電話をする方は、応答がない場合は時間を空けて何回か試してください!)
- 清教と関わったこと・清教で学んだことが牧師としての働きにどう影響していますか?
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清教学園の聖書の授業、チャペル等で出会った牧師の姿がいまの私の「牧師像」の原体験です。
また清教学園の日々の学生生活の中で触れていたキリスト教主義・建学の精神や校風は牧師としてかどうかに関係なく、人としての生き方に影響を与えています。私の場合は不登校をしていたので、「清教学園で助けられた」・「清教学園を卒業させてもらったから今の私がある」と強く感じています。
だからそんな清教のような働きができる牧師・教会でありたいと考えています。
- その他なんでもどうぞ!
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「牧師」は「職業」というよりも「生き方」であると考えます。
恩師の先輩牧師に「牧師の仕事は楽をしようと思えばいくらでも楽ができる。
もっとしようと思えばいくらでもすることがある。」とアドバイスされました。
確かにその通りです。終わりのない働きだからしんどいと思うこともありますが、
一生働くことのできる祝福された働きでもあります。
自分のできる範囲でできる限り働き、生涯学び続け、誰かの魂に寄り添い、
それでお金までもらえるなら、これに勝る幸いはありません。
キリスト教ついて日々お考えになっていることをお聞かせください
イースターに清教学園の創立を想う
日本基督教団泉佐野教会牧師
清教会宗教委員
高校29期 駒木 亮
いまさらですが清教学園はキリスト教主義の学校です。太平洋戦争敗戦直後、現在の日本基督教団河内長野教会に集う教会学校の生徒たちが「自分たち教会の学校が欲しい」と祈ったことから設立に至りました。「清教」という名前は16世紀から17世紀に英国で誕生したプロテスタント教会の勢力「ピューリタン」の邦語「清教徒」が由来です。でも清教学園に在学していたとき、私たちは多分「清教」という名前や「キリスト教」をあまり意識したことはなかったのではないでしょうか。
私たちが「キリスト教」と聞いてすぐに思い浮かぶのは、イエスさまの誕生を祝う日・クリスマスでしょう。一方「イースターとは?」と聞かれたら、南太平洋に浮かぶモアイ像で有名な「イースター島」を思い浮かべるのではないでしょうか。ところがキリスト教会の中で最初に祝われ、最も大切にされている祭日・祝日はイースターです。イースターとは復活日、イエスさまが十字架に架けられ死なれた後、三日目に復活された日を指します。聖書を調べてもイエスさまの誕生日は分かりませんが、イエスさまがいつ復活されたか、これは西暦何年かは別として、時期はある程度正確に知ることができます。2021年は4月4日の日曜日がイースター・復活日あるいは復活祭です。
イースター・復活日は「イエスさまが神によって復活させられた」ときですが、死んだ者が復活するとはにわかには信じられません。そう、信じられないのです。人間の理解を超えた神によるイエスさまの復活が歴史上ただ一度起こった。このイエスさまの復活によって、人間にとっては死が終わりではないと示された。このにわかには信じられないイエスさまの復活・神による奇跡を「信じる」と告白した人が「キリスト教を信じる人」、キリスト者あるいはクリスチャンです。
キリスト教にとって、もちろん清教学園にとっても、イースターが一番大切なお祭りです。しかし日本では時期が悪い。イースターは「春分の日の後の最初の満月の後の最初の日曜日」なのです。つまり3月下旬から4月下旬までの間にやってきます。そう、日本では年度替わり、卒業・入学シーズンです。加えて12月25日のクリスマスと異なり、イースターは毎年日付が変わります。だからクリスマスのように学校行事の一環として祝うことが難しい。でもせめて清教学園の卒業生である私たちは、イースターがクリスマスよりも重要なお祭りで、キリスト教信仰の核心だと覚えておきたいものです。
私はこの4月が来ると、牧師として14年目となり、満13年働いたことになります。牧師の働きの中心は日曜日の礼拝ですが、私の場合、日曜日の礼拝に次いで多く経験しているのが葬儀です。今年は既に2月に2週続けて葬儀を行いました。キリスト教の葬儀は礼拝です。故人に命を与えこれまで保ってくださったことを神に感謝します。参列者は故人と生前に出会え、同じ時間を過ごすことができたことを神に感謝し、神のもとに召された故人の平安を祈ります。そして何より葬儀は、故人がイエス・キリストに結ばれた者として神によってイエスさまと同じように復活させられる、死は終わりではないという希望を確信するときでもあります。復活があるということは、私たちは故人と神のもとで再会することもできるのです。葬儀では神のもとでの再会の希望も確認します。ですからキリスト教の葬儀はただ悲しいばかりではありません。悲しみの先にある希望を確認し、そこに慰めを見出すとき・平安が与えられるときでもあります。イエスさまが復活させられたから、イースターを信じ祝うから、キリスト者は死に直面しても不安や悲しみの中から救い出されるのです。
キリスト教の結婚式は華やかです。あこがれる方、実際にキリスト教式の結婚式を挙げられた方も多いでしょう。でも神の愛や神の力を知るのは、実は結婚式以上に葬儀においてかもしれません。牧師として葬儀を行う中でこの想いはより一層強くなっています。それもこれもすべてイースター、イエスさまの復活があったから。キリスト教の誕生、河内長野教会の創立、清教学園の創立、そして私たちが清教学園で出会い学べたこと、いまもこうしてつながっていること、すべてはイースター・イエスさまの復活から始まっているのです。
貴重なお話ありがとうございました。
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